ハイアニス(ケープコッドの港町・マサチューセッツ州)

ハイアニス(ケープコッドの港町・マサチューセッツ州)。
ハイアニスという地名の由来である、カマキッド族の酋長だった「イヤノウ」の銅像
Statue of Sachem Iyanough in Hyannis, MA(Massachusetts), United States
Iyanough

ハイアニス(Hyannis)は、ケープコッドの港町でアメリカ合衆国のマサチューセッツ州バーンステーブル郡に位置する。「ハイアニス」という地名は、ワンパノアグ族(Wampanoag Indians)の50以上ある支族の1つであるカマキッド族(Cummaquid tribe)の酋長(sache)であった「イヤノウ」(Iyannough 1569 – 1623)にちなんで名づけられたと言われるが、近年では「イヤノウ」(Iyannough)の息子「ジョン・ハイアノ」(John Hyanno)の名前にちなんで名づけられたという説もある。George H. W.Bush(第41代大統領)とGeorge W. Bush(第43代大統領)はイヤノウの子孫である。

ハイアニスポートにはケネディ家の別荘「Kennedy Compound」もあり、ケネディ一家は休日をハイアニスポートで過ごす事が多かったことから、ハイアニスには「ジョン・F・ケネディミュージアム」や「ジョン・F・ケネディメモリアル」といった施設がある。ケネディ家の別荘は、「One-Hour Harbor Cruise」というハイアニス湾内観光船に乗ると船上から見ることができるが、ケネディ家の別荘にはさほど近づかないので、双眼鏡を持参したほうがよく、ハイアニス湾内観光船からケネディ家の別荘を写真に撮るなら200ミリ以上の望遠レンズも欠かせないだろう。

ニューイングランドとは、アメリカ合衆国北東部の6州を合わせた地方の呼び名で、中心都市はマサチューセッツ州のボストンだが、もともとはワンパノアグ族やポウハタン族、ナラガンセット族、イロコイ族など、多様なインディアン部族が暮らしていた地域である。マサチューセッツとはマサチューセッツ族の言葉で「大きな丘」を意味する。ハイアニスから割と近いマーサズ・ヴィニヤード(Martha’s Vineyard)は、アフリカ系アメリカ人上流階級の伝統的なリゾートで、マーサズ・ヴィニヤードはオバマが夏期休暇を過ごす場所としても知られる。

1600年頃のニューイングランド南部におけるアルゴンキン語族の分布
wohngebiet_südneuengland
アルゴンキン語族は、白人による同化政策である「インディアン寄宿学校」による英語教育の強制により、多くの言語が絶滅に瀕しており、すでに絶滅したものもある。この地域の地名はアルゴンキン語族によるものが多い。例としては、マサチューセッツ、コネチカット、イリノイ、ミシガン、ウィスコンシン、ミルウォーキー、シカゴ、オタワなどがある。マサチューセッツ族のマサチューセッツとはマサチューセッツ族の言葉で「大きな丘」を意味する。アルゴンキン語族は、アメリカ・インディアンの言語の語族の1つである。アメリカ合衆国北部およびカナダの、ロッキー山脈から東海岸に至るまでの広い範囲で話されていた。共通の祖語から発展したと考えられており、祖語は(場所はわからないが)少なくとも3千年前に話されていたとされる。さらにカリフォルニア州北西部の2つの言語、ウィヨット語(Wiyot)とユロック語(Yurok)も遠縁ながら同じ系統に属すと考えられており、これら全部をあわせてアルジック語族ともいう。アルゴンキン語というのはこの語族の中の1つの言語であり、語族のことではない。また、「アルゴンキン語族」は民族名ではない。ワンパノアグ族ワンパノアグとはマサチューセット語で「東の民」または「夜明けの民」)

植民者と接触するサモセット酋長の想像図
Samoset speaks English to the British colonists
wampanoag

プリマス植民地総督ジョン・カーヴァーと友好のパイプを取り交わすマサソイト酋長の想像図
Massasoit and governor John Carver smoking a peace pipe
wampanoag2

英国からやって来た白人入植者の船に弓矢を放ち、白人入植者に拉致されたワンパノアグ族の仲間を取り戻そうとしているワンパノアグ族(1614年、マーサズ・ヴィニヤード)
Capt. Nicholas Hobson’s ship is attacked by Wampanoag warriors in 1614 on Martha’s Vineyard, allowing Hobson’s captive Epenow to escape. Epenow was a Nauset from Martha’s Vineyard, Massachusetts who became an early symbol of resistance to English explorers and slavers in the early 17th century.
epenow

マサチューセット語で「東の民」または「夜明けの民」を意味するワンパノアグ族(英語:Wampanoag、マサチューセット語:Wôpanâak)とは、アメリカのニューイングランドのマサチューセッツ州南東部に住むインディアン部族である。

かつての文化
ワンパノアグ族は北アメリカ東部の森林地帯に住むアルゴンキン語族に属する。ワンパノアグとはマサチューセット語で「東の民」あるいは「夜明けの民」を意味し、ポカノケット(Pokanoket)、 パテュケット(Patuxet)、 ナウエトなど50以上の支族を含み、マサチューセッツ州南東部からロードアイランド州にかけてを広く支配していた。ウィグワムと呼ばれるドーム型の小屋に住処して狩猟、漁労、耕作をして暮らしていた。

イギリス人入植者への援助
1620年、イギリスからメイフラワー号でアメリカに入植したピューリタン(清教徒)のピルグリム・ファーザーズの一団は現在のプリマス市付近に上陸した。ピルグリム達はパテュケットの集落跡にプリマス植民地を築いたが、慣れない環境での寒さや飢えなどでその冬に入植者の約半数が死んだ。インディアン諸部族はこの白人たちから発砲されるなどしていたため、近づかないよう用心していた。

ある日現在のメイン州にあたる地域からマサソイト酋長を訪ねて来ていたアベナキ族(Abenaki)の酋長サモセット(Samoset)が、ピルグリム達に片言の英語で話しかけ(サモセットはケネベック川河口に短期間存続した入植地でイギリス人と接触したことがあった)、植民地の事情を視察してから翌日英語を流暢に話すワンパノアグ族のティスクアンタムまたはスクアント(Tisquantum/Squanto)を連れて戻った。スクアントはかつてイギリス人に拉致されてヨーロッパに奴隷として売られたが、白人の教育を受けて自由を得てから通訳として植民地行きの船に乗り、故郷に戻っていた。スクアントはインディアンの農耕や漁業の技術を伝授し、ピルグリムが冬の数ヶ月を生き延びるのを助けた。

また、スクアントは1621年3月にワンパノアグ族のマサソイト酋長とピルグリムが平和と友情の条約を結ぶのを仲介した。ピルグリムが現れるまでの過去十年間、ワンパノアグ族は近隣のミクマク族(Mi’kmaq)やナラガンセット族との抗争と、白人が持ち込んだ疫病の3回に渡る流行で疲弊しており、マサソイト酋長はピルグリムとの同盟がワンパノアグ族の置かれた状況を好転させると期待していたとみられる。インディアンにおける酋長とは、「調停者」(ピースメイカー)であり、白人が思い込んでいるような「指導者」や「首長」ではない。スクアントは「調停者」として、新参者の白人たちとインディアンたちとの間で、申し分のない和平調停を行っているのである。

マサソイト酋長がピルグリムと結んだ条約にはプリマス植民地のために48.5km²の土地を譲渡することが含まれていた。インディアンにとって土地は誰のものでもなく、白人の土地所有の概念のように恒久的に占有するものではなかったから、そもそもマサソイトがこの「土地の譲渡」を理解していたかどうかは疑わしい。なにはともあれ、インディアン間の抗争と白人の持ち込んだ疫病でワンパノアグ族の人口はひどく低下していた上、ワンパノアグ族の土地に現れたイギリス人の数はまだ少なく、しかも前年の冬をようやく生き延びたような有様であったため、この条約が後にワンパノアグ族の不利益になるとは考えなかったはずである。その秋は各作物が大豊作であったため、ピルグリムは神の恵みとワンパノアグ族の助力に感謝し、収穫の祭を開いた。「すべてを共有する」というインディアンの文化に則って、マサソイトたちワンパノアグ族も90名が5頭の鹿を携えて入植地を訪れ、3日に渡る祝宴に加わった。これが現在の感謝祭の起源であるとされる。

マサソイト酋長の死後、ワンパノアグ族の酋長(調停役)は息子のワムスッタ(もしくはワムサダ)に受け継がれた。ワムスッタはピルグリムの入植者が父との間で結んだ条約を破って入植地を拡げ、ワンパノアグ族を追い出していることに対してプリマス入植地の植民地政府に異議申出を行った、病気になり、プリマスからの帰り道にその病気により謎の死を遂げた(毒殺されたとも言われている)。

ワムスッタの死で、ワムスッタの弟メタコメット(もしくはメタコム)がワンパノアグ族の酋長になった。ピルグリムの入植者たちはインディアンの酋長を「王」か「部族長」だと思い込んでいるから、彼を「フィリップ王」と呼んだ。

入植者の裏切り
1675年から1676年の間に、メタコメット酋長は、入植者がワンパノアグ族の土地を奪い、生活の基盤である森や猟場を荒らしてはワンパノアグ族を殺害し、女性や子供を奴隷として売りとばしたとして、イギリス植民地政府に抗議した。

植民地がワンパノアグ族の抗議を無視したため、部族はプリマス入植地を攻撃した。白人はこれを「フィリップ王戦争」と呼んでいるが、上述したようにインディアンの酋長は「部族長」ではないし、「戦争指導者」でもない。彼らは合議で侵略者との戦いを選んだのであって、メタコメット個人がこれを率いたわけではない。

この戦いでは、同じアルゴンキン諸部族のニアンティック族(Niantic)、ペナクック族(Pennacook)、ノーセット族(Nauset)もワンパノアグ族と同盟を結び参戦した。攻撃されたプリマス入植地の植民者は入植地を守るため、銃や剣や大砲や点火棒を振りかざし、アルゴンキン諸部族と敵対していたモヒカン族とモホーク族を味方に付け、ワンパノアグ族を襲ってこれを虐殺した。この戦いで600人の白人入植者と4000人以上のインディアンが死んだ。

メタコメット酋長を含むほとんどのワンパノアグ族は虐殺され、メタコメット酋長の妻と8歳の息子はバミューダ諸島に奴隷として売り飛ばされた。さらに、メタコメット酋長の遺体は八つ裂きにされ、頭蓋骨は槍の先に突き刺されて入植者の村に飾られた。1620年には約5000人と推定されるワンパノアグ族の人口は、フィリップ王戦争の後には約400人にまで激減した。

侵略者たちはメタコメット酋長を「戦争を率いた指導者」だと思い込んでいるから、このような凄惨な仕打ちを彼だけでなくその家族にまで加えたのである。

現在のワンパノアグ族
2000年の人口統計では2336人となっている。他部族のインディアンや白人、黒人との混血者も多い。その多くがマーサズ・ヴィニヤード島のワトゥッパ(Watuppa)ワンパノアグインディアン保留地に居住している他、ケープコッドのマシュピー(Mashpee)のワンパノアグ族の集落も保留地認定されている。

ワンパノアグ族の名は、「白人によるワンパノアグ族虐殺の歴史を忘れるな」との標語の下、白人にとって輝かしい記念の日である「ピルグリムファーザーズの上陸記念感謝祭」に対して同日にぶつけて行われる抗議運動、「全米哀悼の日」でも有名である。

この「全米哀悼の日」はワンパノアグ族が主体運営する「ニューイングランド・アメリカインディアン連合」の運動家、ワムスッタ・フランク・ジェームズ(Wamsutta Frank James)によって1970年に開始され、彼の死後も引き継がれて毎年行われている。
…….

白人が描いたメタコメット酋長の肖像画
metacomet

フィリップ王戦争(King Philip’s War)とは、1675年6月から翌年8月まで、ニューイングランドで白人入植者とインディアン諸部族との間で起きたインディアン戦争(民族浄化)。フィリップ王とはワンパノアグ族の酋長メタコメット(メタコム)の事で、白人入植者は彼をそう呼んでいた。

概要
イギリス白人がニューイングランドと名付けた入植地で、彼らはワンパノアグ族から手厚い保護を受け、食料を贈られ厳しい冬の飢餓と寒さを越えることが出来た。しかし白人たちの入植地の拡大はエスカレートし、やがてはインディアンたちの領土をよこせ、と要求し始めた。

インディアンにとって土地は共有財産であり、だれのものでもなかった。しかし白人の要求は、インディアンすべてを立ち退かせる排他的なものだった。当然インディアンたちは激怒した。また白人はこの取り決めを「公平」に「条約」で行おうとし、その署名者として彼らの酋長を選んだ。

しかしインディアンの社会は、白人の独任制と違い、合議制である。部族を代表する首長や君主は存在しない。酋長はあくまで調停者であって、部族を代表するものではないのだが、白人にはこれが理解できなかった。入植者は酋長と盟約すればワンパノアグ族は納得するものと思い込んだが、これは全くの思い違いである。

元々ワンパノアグ族は白人入植者達に対して友好関係を築いており、1620年酋長のマサソイトは慣れない環境による寒さや病気、飢えで苦しむ白人入植者を助け、平和と友情による条約を結んでいる。1621年の秋、感謝祭の際にもマサイットは多くの食料を持参して列席している。

しかし急激に増加した白人の入植者は、彼らインディアンの土地を売るように要求したり、強引なキリスト教への改宗強制や、インディアンに不利な裁判を行い、インディアンの白人に対する反感を買い始めた。インディアンに「土地を売る」という概念はそもそもなかったし、個人の選択として宗教を受け入れることはあったが、部族全体を従わせようとする白人の思考はインディアン共同体には理解不可能だった。

さらに白人と友好を築いていたマサソイト酋長が死ぬとさらに状況は悪化する。マサソイト死後、ワンパノアグ族の新酋長は息子のワムスッタ(アレキサンダー)になるが、白人側は彼らが住む土地にまで入植地を拡大して行った。そのためワムスッタは「調停者」たるインディアンの酋長の役目として、白人が父マサソイトに要求して結んだ入植の土地の譲渡と和平条約に異議申し立てをプリマス入植地で行い、侵略行為を止めるよう説得した。が、プリマス入植地から村に帰る途中、ワムスッタはなぜか病気(毒殺されたとも言われる)による謎の死を遂げてしまう。

そして新たに24歳のワムスッタの弟メタコメットが新酋長になると、白人との関係はさらに悪化して行った。メタコメットも兄ワムスッタと同様に、調停者として最大の努力を払い、白人との友好関係を続けていくことに苦心していた。

しかし誇り高いワンパノアグ族とメタコメット酋長は、合議の結果、部族の土地を侵す白人に対して、ついに宣戦布告の準備を始めた。1675年6月25日キリスト教に改宗したワンパノアグ族で、ハーバード大学のインディアン・カレッジで学んだジョン・ササモンが、プリマス入植地の総督ジョシア・ウィンスローに「ワンパノアグ族のメタコメット酋長が白人に対して戦争準備をしている」と通報したが、その後ササモンは別部族のインディアンに殺されてしまった。

ニューイングランドのインディアン部族はこれ以上白人の横暴を許せなかった。メタコメット酋長らのワンパノアグ族は、ニアンティック族、ペナクック族、ノーセット族らワンパノアグ族と同盟を結んでいた部族と共同して、プリマス入植地を攻撃した。攻撃された入植地の白人側も武装して、ワンパノアグ族と敵対するモヒカン族やモホーク族などの部族を味方に付け全面戦争が勃発。インディアン側はニプマック族やナラガンセット族も参戦。プリマス入植地総督のウィンスローはナラガンセット族の婦女子を大虐殺し、怨みを買っていた。

戦闘
戦争はマサチューセッツ植民地とコネチカット植民地を引き込んでのニューイングランド全域に及んだ。インディアン側は52のタウンを襲撃し、12のタウンを壊滅させた。1676年に入ると、ニューイングランド植民地連合軍は、植民地で採用された民兵、ミニットマンを活用し反撃した。ナラガンセット族のカノンチェット酋長(白人は指導者と見ていた)が1676年4月3日に逮捕及び処刑され、白人に対して反旗を翻し戦いを挑んだワンパノアグ族ではメタコメット酋長が3ヵ月後の8月12日に戦死し、侵略者側が勝利する形で戦争は終結する。

その後
戦いで600人の白人入植者と4000人以上のインディアンが犠牲となり死んだ。戦死したメタコメット酋長の遺体は白人達により八つ裂きにされ、首は槍の先に突き刺され、白人達の村に24年間飾られた。そして捕虜となったメタコメット酋長の家族を始めとするインディアン達は奴隷として西インド諸島などに売り飛ばされて行った。インディアンに「司令官」はいないという、彼らの文化は白人には理解できなかった。侵略者はただメタコメットを「戦争を始めた首謀者」と一方的に見なし、理不尽な辱めをこれに与えて勝利を祝ったのである。
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