3月10日東京大空襲から70年

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「東京大空襲」から70年 どんな空襲だったのか 早稲田塾講師・坂東太郎のよくわかる時事用語
THE PAGE(ザ・ページ) 2015.03.09 16:00
http://thepage.jp/detail/20150309-00000004-wordleaf?pattern=1&utm_expid=90592221-29.uzRA2AXrScmfXlXFfeP6qg.1

「3月10日」の大空襲

今の墨田、江東、台東区など下町地区を対象として行われました。本来、爆撃の目的は軍需拠点の破壊ですが、町工場が点在し、有効な拠点攻撃が難しいという点を踏まえて、道路などのインフラもまとめて破壊し尽くすというエリア爆撃を採用しました。午前0時から約2時間、300機以上のB29が飛来して約10万人の死者を出したのです。

この攻撃の主な特徴は夜間に、凄い数の爆撃機が、超低空からもっぱら範囲を焼き払うのに徹したという点です。米軍は攻撃地域を事前に十分に研究し、関東大震災のケースも踏まえて何よりも木造家屋が多いので「火」に弱いと確信し、日本の家屋用に開発したM69焼夷弾を圧倒的な量投下しました。都市を焼き尽くす作戦と言ってもいいでしょう。

狙いはズバリと当たり、死者数の約10万人は奇しくも関東大震災の被害と匹敵します。墨田区と江東区に一番大きな被害が出ました。当時は北西の強風が吹いていたために、燃えさかる炎同士が合流して大火災を生み出しました。亡くなった方の多くは焼死や窒息死です。難を逃れようと隅田川や荒川に飛び込んだまま溺死した人も大勢いました。被災家屋は約27万戸。通常兵器を用いた単独の空襲で記録された死者数は世界最大です。

真夜中に突然、とんでもない量の火災のみを目的とした焼夷弾が低空から密集地帯にばらまかれたのですから阿鼻叫喚の地獄絵図と化しました。死者の7割が身元不明で、65%が男女の区別すらつかなかったとされているのを考えるだけでも、いかに凄惨な状況であったかわかります。焼失面積は東京ディズニーランドの約80倍です。
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東京大空襲70年、記憶は風化していくのか
東洋経済オンライン 2015年03月08日
http://toyokeizai.net/articles/-/62638

犠牲者のほとんどが民間人だった

現代の多くの日本人は、東京の4分の1を焦土としたこの東京大空襲について聞いたことはあっても、そこで住民がどのような経験をしたか、どのように死んでいったかについて詳しく知っている人はほとんどいない。この空襲における犠牲者のほとんどが民間人だった。

当時のことを知る人は、すでに高齢だ。小説家、早乙女勝元さん(82)は次のように危機感を語る。「戦争にもしなったら、過去の戦争でもそうなんですけれども、その時民間人はどうなるのか、女性や子供たちはどんな犠牲を強いられたのかということをきちんと今、語り継いで行くことが、これからの戦争への道にブレーキになるのではないでしょうか」。

空襲により重い障害を背負うことになった戸田成正さん(84)は次のように言う。「火を全身に浴びたということで、そのときの看護婦の話だと顔が倍くらいに膨れていたということですからね。神風が、また危ない時には助けてくれる、とそういう風にわれわれも信じていたからね。ところが神風どころじゃない、もう日本はめちゃくちゃにやられているんだから」。

東京大空襲・戦災資料センターを訪れたムコウヤマタカコさん(46)は、「これは本当に繰り返しちゃいけない、そうどこかで肝に銘じておかないと、これから先、忘れちゃった人たちが、また同じことをするのではないか、繰り返すのではないか、という危機感もあります」と語った。
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