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独ワイマール憲法の”教訓” なぜ独裁が生まれたのか

ナチスの手口 麻生 自民 ヒトラー選挙戦略
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ヒトラー『我が闘争』に見るナチスのプロパガンダ指針

1924年から1926年にかけて著した『我が闘争』で既にヒトラーは、後のナチのプロパガンダにとって核となる原型と指針を編み出していた。これによれば、プロパガンダが焦点を合わせるべきは専ら感情に他ならず、知能へは非常に限られた場合のみである、とされた。

プロパガンダで必須なものとして「庶民が親しめるものであること、そして対象とする者のなかでも最も程度の低い者の受容力に合わせること」を挙げた。また「プロパガンダに学術講義のような多面性を与えようとすることは誤り」とした。

プロパガンダと客観的であること、また真実であることは、操作する上でどのようにかかわるのか、ヒトラーははっきりと自己の考えを明らかにした。プロパガンダとは「真実が他者を利する限り、大衆に向かって教条的に正しく客観的にこれを追究するためではなく、絶え間なく大衆を自らの意のままにするためにある。

広範な大衆に向けたプロパガンダの根本原則とは、ヒトラーによれば、テーマ、考え、結論を絞り、執拗に繰り返せばよい、とした。

ヴィクトール・クレンペラーは、後に著書『第三帝国の言語「LTI」―ある言語学者のノート』において、ナチスの言語とのかかわりについて述べた。結論としては、ナチスのレトリックが人々に影響を与えたが、これは個々の演説やビラなどによるものではなく、ナチ的イメージが刷り込まれた常に同じ概念や常套句を、判で押したように繰り返すことによるものであった、とした。

1933年以前のナチスのプロパガンダ

「大衆動員」を達成するため、政治活動の重点はプロパガンダに置かれた。ヒトラーは『我が闘争』で既に以下の原則を編み出していた。

テーマや標語を絞る
あまり知性を要求しない
大衆の情緒的感受性を狙う
細部に立ち入らない
信条に応じ何千回と繰り返す

こうしてナチ・プロパガンダの定式が決まり、ナチの装置として最も成功した武器となった。

ナチのプロパガンダと相対する概念であったのが、他の民主主義政党の採った方法であり、理性的な論拠に基づき政策を広報していた。ナチのプロパガンダは、説明を意図的に放棄する代わりに、非理性的なもの、感情が左右する「敵か味方か」という類型に訴えかけるものであった。

集会での演説は、1933年までナチスにとって最も重要な煽動の手段であった。ここで目的とされたのは、具体的計画を示し、選挙公約や政治目標を説明することではなく、曖昧模糊としたナチズムへの「漠然とした信仰」を普及することにあった。来る将来展望の点については、宣伝担当者は処方箋通りに、万人に全てを約束したが、具体的な明言は避けた。

1933年政権掌握以降のナチスのプロパガンダ

帝国国民啓蒙宣伝省は1933年3月13日に創設された。その前日にヒトラーは、ナチ党の政権掌握に続き、ミュンヘンで「州の政治意思の均一化」を命令した。従来は比較的小規模に行われていた宣伝活動が、これにより組織的に実施されることになった。

今や帝国国民啓蒙宣伝大臣に登り詰めたゲッベルスは、ヒトラーの信頼厚い側近であり、こうして自身の勢力範囲の決定的拡大に成功したが、実際のところ反対勢力の全メディアが一撃のもとに排除されたためであった。

意見形成の最重要機関は今やナチ党の装置に組み込まれ、ベルリンから一元的に指令されることになった。ナチ党はこうしてプロパガンダを手中に収めたのである。

政治的レトリック

ナチスの影響下、多くの概念の評価が劇的に変わった。ヴァイマル共和政の市民社会において道徳面で否定的に評価された用語は、ナチスのプロパガンダによって、肯定的なものとして評価されるよう変えられた。

例えば「rücksichtslos」(顧慮のない)という形容詞は、ナチスの用語(ドイツ語版)では「ひたむき」や「エネルギッシュ」といった肯定的な意味になった。同様に「Hass」(憎悪)は特定のコンテキストでは肯定的な意味になった。

プロパガンダ言語のこの他の特徴には「暴力のレトリック」の使用が挙げられる。特にヒトラーの演説では、政敵に対して極端に喧嘩腰なトーンで誹謗中傷し、口汚く攻撃した。政敵は凶悪犯と罵られ、さらに欺瞞、サボタージュ、ペテン、詐欺、あげく殺人と非難された。ナチスが民族共同体にとって有害とみなし、レッテルを張られた一部の人々の物理的「抹殺」や「絶滅」については、これに応じた連想から、もっともなこと、とされた。

総統崇拝

アドルフ・ヒトラーをあらゆる疑念を超越し、近寄りがたく、栄光に満ちた指導者というイメージに様式化することは、ナチスのプロパガンダにとって中心課題であった(総統崇拝、指導者原理)。そのため、ヒトラーのかなり疑わしい過去は隠蔽され、肯定的な作り話で覆われ徹底的に神格化された。「総統」の権限に対する盲目的信頼を生み出すことが目的であった。

総統、命令を、我らは従う (Führer befiehl, wir folgen)」は非常によく使われたスローガンだった。ドイツ国民だけでなくナチ党の指導部までがこの様式化に屈した。

研究プロジェクト「歴史と記憶」において、ナチス支持者へのインタビューを通じて実証に成功したように、ナチのプロパガンダと信奉者との相互作用によるものであった。一つにはドイツ国民の大多数が恥辱の気持ちで一杯であったこと、世界大戦のトラウマが未処理で、解消されていなかったこと、心理的退行と救済の幻想によって、他方はナチのプロパガンダによって操作されたものである。

高位のナチ政治家は特定の政治的企図に疑いを持ったとしても、密告への恐れではなく、むしろ全能の父親像との過剰な自己同一化のために声を上げなかった。ヘルマン・ゲーリングは適切に表現している。「私には良心などない!アドルフ・ヒトラーこそ我が良心である。

一方で同時にヒトラーの神格化や過剰な称揚を、「ヒトラーも君と僕と同じ人間だ」と個人的側面を提示して抑えようとする試みがあった。ハインリヒ・ホフマンは例えば1932年にパンフレット『知られざるヒトラー (Hitler wie ihn keiner kennt)』を出版し、そこでは「指導者(総統)」は子供好き、熱心な狩猟家、愛犬家、車好きとして紹介された。牧歌的なベルクホーフがこうした写真の背景を務めた。総じて言えば相反するヒトラーのイメージがあった。つまり孤高超然、また現代性、活力、節度、自然への愛といったものである。

集団祭祀と儀礼

ナチ党が選挙で大勝し、1933年に政権を掌握すると、いわゆる「国民運動」が主要部分へ移行し、「象徴的コミュニケーション」という手段が用いられた。ある種の儀式によって政治的集団祭祀という擬似宗教的な形態が作られた。この祭祀は感覚に訴えかけ、感情を呼び覚まし、思考力を麻痺させるものだった。

集会、たいまつ行進、旗の点呼、集団行進、祝典、またヒトラーユーゲントやドイツ少女連盟といった青少年組織、加えて学校の教育課程を改編することで、ナチ党は、広範に広まっていたアイデンティティーや社会の共同体への欲求を巧妙に操作し、政治的目的に手段化することに成功したのである。

体系的に大衆に影響を与える形態についてヒトラーは、特にギュスターヴ・ル・ボンの『群衆心理』(1895年)から示唆を得た。

ヒトラーは『我が闘争』にこう書いている:
「大衆集会では、孤独で寂しく感じる人間が、はじめて大きな共同体というイメージを受ける。職場でみじめに感じる一人の人間が、はじめて大衆集会に足を踏み入れ、思いを同じくする者が周りに何千人といれば、何かを探す者として 有無を言わせぬ感激の巨大な効果に、何千もの人々によって引き込まれるならば、新たな教義は正しい、と何千人もの目に見える賛同から裏付けられれば、その時には群集暗示の魔術的影響のもとに置かれているのである。」

群集心理は意識的かつ意図的に使いられ、ナチのプロパガンダの成功への鍵となった。

フランスの精神分析家ベーラ・グランベルジェ(英語版)と Pierre Dessuant がプリモ・レーヴィの発言として対談からこう引用している。「史上初めてヒトラーがかくも権力を持ち、暴力的行為を成し得たか、それはマスコミュニケーションという強大な武器を手にしていたからである。」

またレーヴィは「ナチの儀式の魅力」を特に強調したのだという。「数十万人が声を一つに『我々は誓う』と叫ぶ度に、あたかも皆が一心同体になったかのようであった。」
…….

独裁政権

1933年1月30日、ナチス・国家人民党・鉄兜団・貴族層など保守派・右派の連立により第一次ヒトラー内閣が発足した。

ヒトラーは首相就任直後の施政方針演説にて、(1)国際協調と平和外交、(2)ワイマール憲法の遵守と憲法48条(大統領緊急令による基本的人権の停止条項)の濫用抑止、(3)多党制の維持(共産党の活動も制限しない)の3大方針を示したが、これらが嘘であることは後述のとおりすぐに明らかになった。

ナチ党党首アドルフ・ヒトラーがパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領より首相に任じられた。ナチ党は第一党ではあったが、いまだ国会の議席の過半数を獲得していなかったため、議会の安定的運営は不可能だった。そこでアドルフ・ヒトラーは政権基盤を固めるため、内閣発足の2日後にあたる2月1日に議会を解散し国会議員選挙日を3月5日と決定した。

選挙戦中、ナチ党は政府の権力を利用し、選挙を盛り上げて有利に導こうとした。選挙前日を『目覚める国民の日』と名づけられ、半休日となった。選挙期間中、ヒトラーは実力を証明するためとして、4年間の首相の地位を要求した。さらにヒンデンブルクに支持されている首相であることもアピールした。また、これまで行ってきたユダヤ人への批判もほとんど行わず、後のドイツ連邦共和国大統領テオドール・ホイスのように「ヒトラーが穏健化した」と感じるものも多かった。このためユダヤ人全国同盟のようにヒトラーを支持するユダヤ人団体も現れた。

無任所相ゲーリングは全土の過半数を占めるプロイセン州の内相でもあり、警察権力を使ってドイツ社会民主党やドイツ共産党などライバル政党に公然と妨害工作を行った。突撃隊や親衛隊、鉄兜団の隊員が補助警察官とされ、公的な権力を握った。

ヒトラーが首相に就任して2日後の1933年2月1日、ヒンデンブルク大統領はヒトラーの要請に応じて国会を解散し、総選挙が始まった。さらに2月4日にはヒトラーの要請で「ドイツ国民保護のための大統領令」(de:Verordnung des Reichspräsidenten zum Schutze des Deutschen Volkes)を発令し、国民の集会・出版・言論の自由を停止した

集会・デモ行進・機関紙は政府の命令いかんで禁止されることになった。この法律自体を見ればナチ党も対象であったが、無任所相ヘルマン・ゲーリングが「ライヒ政府によって開始された再建の作業を、国家に敵対する勢力から守るためである」と語ったように、実際にはナチ党とその与党以外が対象となるものであった。

2月27日の深夜、国会議事堂が炎上する事件が発生した(ドイツ国会議事堂放火事件)。プロイセン内務省の政治警察部長ディールスは、国会議長公邸で開かれた閣僚、警視総監、ベルリン市長、イギリス大使、元皇太子ヴィルヘルム・アウグストなどが参加する対策会議で、犯人逮捕を報告し「一人の狂人の単独犯行」と結論づけた。

しかし、ヒトラーは「共産主義者による反乱計画の一端」と見なし、「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる。コミュニストの仲間は一人残らず牢にぶち込め。社会民主党員も同じだ!」と叫び、単独犯行であるとするディールスの意見を一蹴した。

ナチ党政権下のドイツにおいてヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めたゲーリングは、プロイセン州警察の公式発表に介入し、犯人が用意した放火材料「100ポンド」(約45kg)を「1000ポンド」(約450kg)と訂正させた。

「1000ポンド」(約450kg)では多すぎて一人で運ぶのは不可能だと、担当官が抗議すると、「何事も不可能では無い!だいたいなぜ単独犯行と書くのだ?10人も20人もいたかもしれないじゃないか!きみには何が起ころうとしているのかわからないのか?この事件はコミュニスト蜂起の合図なんだぞ!」と叫び、「2人の共産党議員」が共犯だと書き加えた。

担当官は政治的文書である事を理由にゲーリングの署名を求め、ゲーリングはしぶしぶ「G」とだけサインした。ナチス党機関紙フェルキッシャー・ベオバハター紙の一面もこの『コミュニスト蜂起の合図』の記事に差し替えられ、ヒトラーとゲッベルスが編集に立ち会った。

その日のうちにプロイセン州警察は共産党議員や公務員の逮捕命令を出した。共産党系の新聞はすべて発行禁止となった。その後、共産党議員団長であるエルンスト・トルクラーや後にコミンテルン書記長を務めるゲオルギ・ディミトロフ、ディミトロフと同じブルガリア人の共産主義者であるブラゴイ・ポポフ(Благой Попов (Blagoy Popov))とヴァシリ・テネフ(Васил Танев (Vassil Tanev))の4名が共犯として逮捕された。

2月28日、ヒトラーは閣議にコミュニストと「法的考慮に左右されず決着をつける」ためとして、 「国民と国家の保護のための大統領令」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令(Verordnung des Reichspräsidenten gegen Verrat am Deutschen Volke und hochverräterische Umtriebe」の二つの緊急大統領令の発布を提議した。

「民族と国家防衛のための緊急令」により、ナチ党の政府は法的な手続きによらず、逮捕・拘禁できる権限を手に入れた。彼らの行き先は裁判ではなく、ダッハウ強制収容所を始めとする強制収容所であった。この緊急令はナチス・ドイツの崩壊まで生き続け、数多くの人々が強制収容所への道をたどることになる。

ヒトラー内閣でヒトラーに次ぐ副首相の座に就いたパーペンが「バイエルン州で反発を受けるかもしれない」と意見を述べたのみで、ほとんど修正される事無く閣議決定された。パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領も黙って承認し、国家防衛緊急令は即日、反逆防止緊急令は翌日公布された。これにより言論の自由や所有権は著しく制限され、政府は連邦各州の全権を掌握できるようになった。

3月1日、ゲーリングはラジオ放送で「共産主義を我々の民族から抹殺することが、私の最も重要な責務である」と述べ、「(国家社会主義)革命の敵に対しては、テロルの使用が不可欠である」と政府による白色テロを宣言した。共産主義者は次々と警察によって予防拘禁され、2日後には無政府主義者、社会民主主義者も対象に加えられた。

共産主義者の襲撃が起きるというデマが流され、共産党や民主主義政党の集会はナチス党の突撃隊に襲われ、共産党の指導者を含めた逮捕者や死者も続出した。選挙期間中に死亡したナチス党員は18人、その他の政党の死者は51人、負傷者は数百人にのぼった。

選挙の結果、100議席を持っていた共産党は81議席へと後退した。一方ナチス党は199議席から288議席へと躍進したが、全体の647議席の過半数獲得には至らなかった。この状況下の3月5日の選挙ではナチスは議席数で45%の288議席を獲得したが、単独過半数は獲得できなかった。しかし、ヒトラー内閣の与党であるドイツ国家人民党をくわえれば過半数には達している。

共産党議員はすでに逮捕・拘禁されており、さらに社会民主党や諸派の一部議員も逮捕された。これらの議員を「出席したが、投票に参加しない者と見なす」ように議院運営規則を改正することで、ナチ党は憲法改正的法令に必要な3分の2の賛成を獲得出来るようになった。

実質的な憲法修正の内容を持つ本案は、本来は可決には総議員の2/3以上の出席を得た上で、出席議員の2/3以上の賛成を必要とした。そこでナチスは連立与党の国家人民党、鉄兜団などの協力で議院運営規則修正法案を同時に提出した。

この修正案は、委員会や投票に参加しない議員の会議への出席を排除できた上に、排除された欠席議員は全て出席したもの(棄権扱いで、採決の分母から除外)と見なして計算することを可能とするものであった。

既にドイツ共産党議員(81議席)は全員が「予防拘禁」、あるいは逃亡・亡命を余儀なくされ、一人も出席できない状態であった。あとは中央党の同意さえ取り付ければ、「円満な採択」が可能な状態となった。

ナチ党は3月の国会議員選挙による勝利を「ナチ党によるライヒ指導が国民によって信任された」と定義し、党が「国民と国家の指導者(nationale Führer)」となったとした。3月6日にドイツ共産党は禁止され、全権委任法成立により政府が立法権を掌握した後にはドイツ社会民主党も解散させられた。

3月23日の昼過ぎ、臨時国会議事堂となったクロル・オペラハウスの周辺を突撃隊・親衛隊が取り囲んだ。演壇の後ろにはハーケンクロイツ旗が掲揚されていた。まず議院運営規則の改正案の審議が行われ、起立多数で採択された。共産党議員の他、26人のドイツ社会民主党議員ならびにドイツ人民党と中央党所属の2議員も逮捕・逃亡・病気などで欠席を余儀なくされた。

ついで全権委任法の審議が始まり、ヒトラーが法案の趣旨説明を行った。ヒトラーは「真の民族共同体建設」のためには、「民族の意志と真の指導の権威が結びついた一つの憲法体制」を作ることが必要であり、全権委任法の制定はそのためであると説明した。

また政府の行為に国会の承認を得ることはしないが、必要である場合には同意を求めることもあるとした。さらに国会、第二院の存在と、大統領の地位と権限を保証し、教会に対する政策も変化しないとした。

そして最後に「政府は諸君の拒否の表明と、それにともなう抵抗の宣言を受け入れる覚悟を固めるものである。今や戦うか、平和を選ぶかは諸君自らである」と、否決された場合の強行手段を暗示した。これにより、最後まで逡巡していたドイツ国家党の5人も賛成に回ることを決めた。

このあと2時間の休憩が取られ、午後6時過ぎに再開された審議の冒頭、ドイツ社会民主党党首のオットー・ヴェルスがこの日唯一の反対演説を行った。

ドイツ社会民主党党首のオットー・ヴェルス
暴力による平和からは、いかなる繁栄も生まれない。真の民族共同体というものはそうしたものに基礎を置くことは出来ない。その第一の前提は平等の権利である。自由と生命を奪いとることはできても、名誉はそうはいかない(Freiheit und Leben kann man uns nehmen, die Ehre nicht.)。社会民主党が最近被った迫害にてらして言えば授権法への賛成を我々に要求したり期待することなど誰にも出来ないはずである。3月5日の選挙の結果、政府与党は多数を獲得し、憲法の文言と目的に忠実に統治することが可能になったのではないか。こうした可能性が存するところでは、そうする義務も存在する。およそ批判とは有益なものであり、必要でもある。ドイツに国会が生まれて以来、民族の代表者が政治に関与し参画することが今日のように排除されたことはいまだかつてなかったことである。新たな授権法が成立すれば、こうした状況がさらに加速されるであろう。革命の続行のために国会を真先になくしてしまうこと、それが君達の要求なのだ。しかし、現に存在するものを破壊することが革命ではない。法というヴェールをかけたとしても、暴力による政治という現実を覆い隠すことは不可能である。いかなる授権法も永遠かつ不変の理念を抹殺することはできない。社会主義者鎮圧法が社会民主主義を抹殺しえなかったように、新たな迫害の中からドイツ社会民主党は新たな力を汲み取るであろう。」

ヒトラーは即興にしてはきわめて巧みに、ヴェルスの主張を逐一余裕たっぷりに粉砕していった。

ヒトラー
「遅れてやってきたものの、とにかくやってきたことは認めてやろう。おまえは迫害という。しかしおまえたちの迫害を牢獄で償う必要が無かった者はわれわれの中でごく少数に過ぎなかったのだ。われわれのほとんどが、おまえたちの手によって何千回となく嫌がらせを受け、弾圧された経験を持っている。色が気に食わないという理由だけで、何年もの間われわれがシャツを引き裂かれたという事実をおまえたちはすっかり忘れてしまったのか。おまえたちの迫害の中からわれわれは生まれたのだ。おまえは批判は有益だという。たしかにドイツを愛するものがわれわれを批判することは結構である。しかし国際主義に魂を売った者による批判を許すわけには行かない。われわれが野党の立場にあった時、おまえたちは批判の有益性とやらを認識すべきであったのだ。その当時われわれの新聞は繰り返し禁止され、集会も演説も同じであった。それなのに、今頃批判は有益だとはよくも言えたものだ。革命を続行するため国会の排除をわれわれが狙っているとおまえは言う。しかし、そのためであれば、われわれは選挙を行うことも、国会を召集することも、それに授権法を提案することも必要なかったはずではないか。この瞬間われわれが議会に求めていることは、たとえ諸君の同意が無くとも、どっちみち奪い取ることのできたものに他ならない。我々があえて法律的な手続きを踏むのは、今日われわれと異なった立場に立つにせよドイツに対する信仰を共有する人々をいずれは手に入れたいためである。反対者を抹殺するのでもなく、彼らと和解するのでもなく、ただ挑発するという愚を私は避けたかったのである。永遠の戦いをおっぱじめるようなことだけはしたくない。それはわれわれの弱さの故にではなく、民族に対する愛からに他ならない。おまえたちがこの法律に賛成しないのは、おまえたちの内奥のメンタリティが今日我々を鼓舞している意図を理解できないからに他ならない。私はお前達の票など欲しくない。ドイツは自由を手に入れる。しかし、それはおまえたちの手によってではないのだ。

その上でヒトラーは、「我々をブルジョアと誤解しないでくれたまえ。ドイツの星は昇りつつあるが、君たちの星は消えかかっている。君たちの弔鐘は鳴りわたったのだ」とまくし立てた。

この後、中央党、バイエルン人民党、ドイツ国家党、キリスト教社会人民運動の賛成演説が続いた。最後に国会議長ゲーリングが、「今や、ドイツの頂点に立つのは我々の指導者(Führer)である。もはや、言葉は不要である。今や、行動あるのみである。我々の指導者、ライヒ首相に対し、我々は盲目的な忠誠を捧げ、ドイツの勝利にいたるまで彼に付き従うことを誓うものである」と宣言し、投票にうつった。

採決時、この時点ではまだ共産党議員は議員の資格を保持していたにもかかわらず、議長ゲーリングは議員総数を共産党議員の分を差し引いた「566」と発表した。

国会による成立後まもなく開催された第二院でも、この法律は全会一致で承認された。第二院の議員は選出州政府の命令に従うことが定められており、すでに各州政府はナチ党に握られていた。

出席した社会民主党議員は全員が反対したものの、ナチス党はドイツ国家人民党と中央党などの協力を得て3分の2の賛成を確保し、全権委任法を成立させた。

全権委任法は、国会審議・議決なしに、大統領の副署なしに、広範な範囲の法令を制定する権利をヒトラー政権に委譲するものであった。議場の周辺には親衛隊がピケラインを張り、議場内の廊下には突撃隊員が立ち並んでいたという。

3月24日には国家人民党と中央党の協力を得て全権委任法を可決させ、議会と大統領の権力は完全に形骸化した。大統領権限は不可侵であるとされて首相・閣僚任免権や国軍最高指揮権は依然として大統領のヒンデンブルクにあったが、すでに病体であったヒンデンブルクはこれらの措置に対して強い行動を起こさなかった。

いわゆる全権委任法は全5条から成る。

1.ドイツ国の法律は、憲法に規定されている手続き以外に、ドイツ政府によっても制定されうる。本条は、憲法85条第2項および第87条に対しても適用される。
2.ドイツ政府によって制定された法律は、国会および第二院の制度そのものにかかわるものでない限り、憲法に違反することができる。ただし、大統領の権限はなんら変わることはない。
3.ドイツ政府によって定められた法律は、首相によって作成され、官報を通じて公布される。特殊な規定がない限り、公布の翌日からその効力を有する。憲法68条から第77条は、政府によって制定された法律の適用を受けない。
4.ドイツ国と外国との条約も、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。政府はこうした条約の履行に必要な法律を発布する。
5.本法は公布の日を以て発効する。本法は1937年4月1日と現政府が他の政府に交代した場合、いずれか早い方の日に失効する。

全権委任法全5条の要旨をまとめると、以下のようになる。

第一条は、立法権を国会に代わって政府(ヒトラー内閣)に与えたものである。
第二条は、政府立法が憲法に優越し得る(違背し得る)ことを定めたものである。この条文には国会・第二院・大統領の権限に関する留保事項が存在しているが、法学者ウルリヒ・ショイナーらは留保事項は従来の憲法でなく、将来制定される憲法に基づくものであると解釈し、制限は極めて限定されたものだと解釈している。
第三条は、大統領にかわって首相(アドルフ・ヒトラー)が法令認証権を得たことを示す。
第四条は、外国との条約を成立させる際、議会の承認が必要ではないことを確認したものである。
第五条は、この法律が時限立法であったことを示す。全権委任法の成立には中道政党である中央党の賛成が必要であったが、この規定は中央党が賛成へ傾く一因になった。

ヨーゼフ・ゲッベルスが24日の日記に「今や我々は憲法上もライヒ(ドイツ国)の支配者となった」と書いたように、全権委任法はすでにナチ党が手中にしていた権力に一応の合法性を与えるものとなった。当時の法学者カール・シュミットはこの法により、政府が立法権を手中にしただけでなく、憲法違反や新憲法制定を含む無制限の権限が与えられたと説明している。こうして事実上ヴァイマル憲法は死文化した。

ナチ党は選挙結果発表後まもなく、バイエルン州などの地方政府の掌握を開始し、地方政府は次々とナチ党の手に落ちた。7月14日には、政党禁止令の発布により、ナチ党以外の全政党が解散に追い込まれ、新規政党の設立も禁止され、ナチ党以外の政党は消滅した。

10月14日には国会が解散され、11月12日には内相フリックとナチ党の協議によって作成された候補者リストを「承認」するだけの選挙が行われた。12月1日には、ナチ党と国家が不可分の存在であるとされた。これによって国会はナチ党議員と党によって承認された者だけになった。

12月11日には新たな国会が開催された。この冒頭でヒトラーは新国会の目的を「ナチスにより構成された国家指導部によって開始された偉大な建設作業に支持を与える」ことと、「党を通して民族との間に生き生きとした結合を与える」こととした。以降国会は単なる政府の協賛機関となり、ヒトラーの発議によって時折開催され、満場一致で賛成する儀礼的なものでしかなくなった。

次の1933年11月12日のドイツ国会選挙は、ナチ党のみが出馬する選挙になった。ナチ党組織や行政組織による投票行動への監視は厳しいものであり、投票場への組織的な駆り出しが行われた。アイヒシュテット小管区のナチ党組織の報告では、小管区全体の投票率が100%に達している。投票内容自体も監視の対象であり、誰が反対票を投じたかを明らかにすることができた。アイヒシュテット小管区では、ナチ党支持率が100%となる地域が76市町村のうち、56にのぼったとされている。

以降ドイツではナチ党を中心とした体制が強化され、党の思想を強く反映した政治が行われるようになった。しかし他の幹部とは異なった政権構想を持っていた突撃隊ではさらなる第二革命を求める声が高まり、突撃隊参謀長レームらとの対立が高まった。ヒトラーはゲーリングと親衛隊全国指導者ヒムラーらによって作成された粛清計画を承認し、1934年6月30日の「長いナイフの夜」によって突撃隊を初めとする党内外の政敵を非合法的手段で粛清した。この時、党草創期からのつきあいがあったレームの逮捕にはヒトラー自らが立ち会っている。

1934年1月30日には『ライヒ新構成法』が制定され、その第四条には「ライヒ政府は新憲法を制定できる」という条文が定められた。この条文を根拠に政府は全権委任法を超えた措置をも行うようになり、本来憲法改正的手続きを行わなければならない第二院(ライヒスラート)廃止が決定されている。

1934年8月2日、ヒンデンブルク大統領が在任のまま死去した。ヒトラーは直ちに、『ライヒ新構成法』第四条を根拠とし、「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」を発効させ、国家元首である大統領の職務を首相の職務と合体させ、さらに「指導者兼首相(Führer und Reichskanzler)であるアドルフ・ヒトラー」個人に大統領の職能を移した。

8月3日には「国家元首に関する法律」の施行令が公布されたが、この形式で出される命令は『Führerlass』もしくは『Führerverordnung』、日本語で総統命令または指導者命令と呼ばれる。やがて総統命令は、これまでの大統領令のように法的根拠を示さず、ただ命令のみが書かれるようになる。これはヒトラーが指導者の権限を法律ではなく、自らの指導者としての人格によって生み出されたものと定義していたものによる。

この原則は後の法相ハンス・フランクも「一切の法は指導者から由来する」と述べたように公式見解となり、「指導者の意思がドイツの意思」となった。

ナチ党政権下のドイツにおいて、ヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めたゲーリングが述べたキャッチフレーズ「指導者が命令する、われわれは従う!」はそれを端的に現している。

この措置は、8月19日に民族投票(ドイツ語版)を行い、89.93%という支持率を得て承認された。指導者は国家や法の上に立つ存在であり、その意思が最高法規となる存在であるとされた。ヒトラーはこれによって完全にドイツの独裁者となった(総統)。これ以降、日本の報道でヒトラーの地位を「総統」と呼ぶことが始まった。

権力掌握以降、ヒトラー崇拝は国民的なものとなった。1935年1月22日には公務員・一般労働者が右手を挙げて「ハイル・ヒトラー」と挨拶することや、公文書・私文書の末尾に「ハイル・ヒトラー」と記載することが義務付けられた。民衆が党や体制に対する不満を持つことがあっても、地方・中央の党幹部に批判が向けられ、ヒトラー自身が対象となることはほとんど無かった。
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国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が掲げた「指導者原理」によって、組織の指導者はヒトラーに与えられた権力の範囲内で絶大な権力を持つが、権力が相互に重複する相手との衝突や混乱が絶えなかった。これは指導者間の衝突や混乱を唯一調停しえる存在となったヒトラーへの従属をますます強めることとなり、ヒトラーもわざとその闘争を放置することすらあった。ヨアヒム・フェストはヒトラーの支配するドイツを「ヒトラーだけにしか全体を眺望し得ない国家」と評している。

「指導者原理」とは、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が掲げた理論、ナチズムの根幹原理であり、ナチ党およびナチス・ドイツの統治構造における政治的権威の重要な基礎である。

国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が掲げた「指導者原理」によると、上位の指導者は下位には無制約の権威を持つが責任は負わず、下位の者は上位の指導者に絶対的な責任を負う。これはヨアヒム・フェストにより「全指導者の権威は下へ、そして責任は上へ」と表現された。権威の源泉は民族共同体(Volksgemeinschaft)の「指導者(Führer)」、つまりアドルフ・ヒトラーであり、究極的には彼に対して民族の全ての構成員が服従し忠誠を誓うことであった。

この原理は「社会進化論」に基づくものであり、血の純粋性や忠誠原理と同様、(ドイツ民族の)「生存法則」(Lebensgesetz)、「自然法則」(Naturgesetz)、「神の法則」(Gottesgesetz)として扱われた。

個別の政策では、党と国家の一体化を推し進める一方で、航空省の設置などヴェルサイユ条約で禁止されていた再軍備を推し進めた。

また同時に行われていたラインハルト計画により、1933年には600万人を数えていた失業者も1934年には300万人に減少している。

一方で新聞の統制化も行い、1934年には三百紙の新聞が廃刊となった。営業不振となった新聞社・雑誌社はナチ党の出版社フランツ・エーア出版社(de:Franz Eher Nachfolger) に買収され、情報の一元化が進んでいった。

ヒトラーは軍事力を極めて重視しており、「世の中に武力によらず、経済によって建設された国家など無い」と、軍事力こそが国家の礎であると主張していた。また政権掌握直後には国防軍首脳といち早く協議を行い、突撃隊を押さえ込んで協力体制を構築しようとした。ヒトラーは膨大な資産と、国家の財産から将軍達に個人的な下賜金、土地の供与を行い、彼らの歓心を買おうとした。1935年3月16日にはヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄(ドイツ再軍備宣言)、公然と軍備拡張を行った

部下の支配

ヒトラーは自身の行動を評価する組織の存在も許さなかったし、制約する規範や法律の制定を認めなかった。また部下が決定を迫ることで自らに圧力をかけることも嫌い、そのような事態が起きればわざと決定を延期することもしばしばあった。軍事に関してもそうであったが、もともと記憶力には優れたものがあったヒトラーは会議の前に統計や文書を暗記し、会議が始まると膨大なデータ量で聞き手をうんざりさせ、早く終わらせたいと思わせて、自分があらかじめ考えていた案を呑ませることを行っていた。
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強制的同一化

強制的同一化(きょうせいてきどういつか、ドイツ語: Gleichschaltung グライヒシャルトゥング、均一化)とは、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)によるドイツ国内の権力の掌握後に行われた、政治や社会全体を「均質化」しようとするナチス・ドイツの根本政策およびその思想を指す言葉。その影響は公的なものから個人の精神にまで及んだ。強制的同質化とも訳される。

ナチ党の構想するあるべきドイツの姿は、唯一の指導者(Führer)が指導者原理によって、「統一的に生き、統一的に考える民族共同体(Volksgemeinschaft)」を指導する体制を実現することであった。

その「民族共同体」はナチ党の望む形であらねばならず、ナチ党が政権を握れば、国家も民族も現在の共同体を解体し、再構築されなければならなかった。

その変革対象は社会構造だけではなく、「ドイツ民族全体の思想、感情、欲求」にまで及ぶものであった。1936年の党大会でヒトラーが述べた言葉はそれを現している。「われわれがとるあらゆる処置は、われわれの民族の外面的な相貌ではなく、内面的な本質を変革せんとするものなのだ。」

ナチ党が権力を握った後、政府機関や党はこの目的のために活動した。特に、国民の意識面での同一化に当たった機関が1933年3月13日に設立された。国民啓蒙・宣伝省である。大臣ヨーゼフ・ゲッベルスは就任直後の会見で「政府と民族全体のグライヒシャルトゥング(同一化)の実現」が省の目的であると述べた。宣伝省はドイツ史上かつて無いプロパガンダを行い、同一化を推進した。

1930年9月25日、ライプツィヒの国防軍訴訟でヒトラーは次のように述べている。
「ナチス運動(国家社会主義運動)は、この国の中で、憲法に則した手段でもって自らの目的を実現しようとするものである。(中略)われわれは、憲法に即した手段を使って、立法機関の中で決定的な多数派となるように努力する。しかし、それはこのことを実現したその瞬間に、国家をわれわれの理想と合致する鋳型に入れて鋳直すためにである。

また、将来の重要政策として、「民族の内面的価値を計画的に育成増進することにより、ドイツ民族という身体を鍛え強化し一つの有機体へと統一すること」を掲げている。これらは後のナチ党による権力掌握過程と強制的同一化を予告するものであった。

ハンナ・アーレントが、全体主義支配の体制にとって最も重要なものは「共同社会の完全なる瓦解による個人化とアトム化」が必要であると指摘したように、強制的同一化は国民達を結びつけていた小さなグループやクラブにまで及んだ。既存の団体はフライコール(ドイツ義勇軍)や医師協会、街のコーラスグループにいたるまで解体され、ナチ党の支配下の組織へと再編成された。

各地労働組合も1933年5月1日の「国民労働の日」と題した「政府と労働者の統合の祝日」の翌日に解散させられた。かわりに労働者はドイツ労働戦線に加入することが義務づけられた。労働戦線においては成人のための「国家社会主義教育」が行われた。

これまでの民間青少年団体は解散させられ、ナチ党の団体のみに統一された。学校内部にもナチ党の指導が及ぶようになり、1936年12月1日にはヒトラーユーゲント法が成立し、ヒトラーユーゲントは学校・家庭と並ぶ教育機関であると位置づけられた。

青少年の民族教育は党によって、「われわれが欲するままの人間へと」、「自分自身のために過ごすことのできる時期があるなどとは、誰にも言わせはしない。」ように絶え間なく行われた。また、家庭でも民族教育が行われることが強制され、それを怠った場合には処罰や子供からの損害賠償請求の対象となった。

宣伝省は「政府の政策及び祖国ドイツの国民的再建に関する民族への啓蒙と宣伝」を目的とする省庁として、1933年3月13日に設立された。この宣伝省が最初に行った大イベントが、3月21日の「民族高揚の日」と名付けられた国会開会記念式典である。

この式典はプロイセン以来のドイツの伝統を反映させた壮麗なものであり、多くの保守的な国民の心をつかんだ。この日は後にポツダムの日と呼ばれるようになる。ナチス・ドイツ時代を通じて宣伝省は、「総統誕生日」や「ナチ党党大会」などの大小のイベントを次々と行い、国家社会主義運動が生み出す興奮と感動を体感させようとした。

ヒトラー『我が闘争』の中で「国家はいわゆる『新聞の自由』という法螺話に惑わされることなく、断固として民族教育のこの手段を確保し、国家と国民に奉仕させねばならない」と述べているが、この「民族教育の手段」と見なされたものには出版、ラジオ、映画、演劇、芸術なども含まれた。宣伝省とその傘下の帝国文化院はこれらに介入し、あるべき「民族教育」のために検閲や指導を行った。その始まりとして知られるのが、宣伝省主催による1933年5月の「反ドイツ的な書物」の焚書デモンストレーションである。

さらに帝国造形芸術院によって行われた、民族にとって有益な芸術の『大ドイツ芸術展』、害となる芸術の『退廃芸術展』、『退廃音楽展』などのキャンペーンもよく知られている。1939年の第二次世界大戦勃発後は「一言一句すべて虚偽である」外国放送の聴取自体が罪となった。

経済面においては1934年2月27日にドイツ経済有機的構成準備法(Gesetz zur Vorbereitung des organischen Aufbaus der deutschen Wirtschaft)が制定され、11月にその施行令が発出された。この法律により農業を除くドイツの全経済分野は工業・商業・手工業・エネルギー産業・銀行・保険業・交通の7部門に分けられ、それぞれの「全国集団(Reichsgruppe)」によって統括された。全ての私企業はこの集団に強制加入させられた。

この企業組織自体はヴァイマル共和政時代にあった組織と特に大きな違いはない。しかし一方で指導者原理に基づき各集団のトップに経済大臣によって任命される指導者(Leiter)が置かれた。経済界の自治は認められたものの、「公益は私益に優先する」(Gemeinnutz geht vor Eigennutz)等のナチズム実践が求められた。

1934年4月24日には特別裁判所として人民法廷(民族裁判所、Volksgerichtshof)が設置された。この裁判所は大逆罪、背反罪、ヒトラーに対する攻撃などを管轄した。ゲッベルスは「判決が合法的であるか否かは問題ではない。むしろ判決の合目的性のみが重要なのである。(中略)裁判の基礎とすべきは、法律ではなく、犯罪者は抹殺されねばならないとの断固たる決意である。」と演説し、これを受けて所長となったローラント・フライスラーは被告人の半数近くを死刑へと追いやった。また、共同体にそぐわないと考えられた者には時として法によらない処分が行われた
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強制的同一化の過程で行われた国民動員とプロパガンダが、国民から考える時間と材料を奪った。

ミルトン・メイヤーがインタビューした言語学者は、全く新しい活動「集会、会議、対談、儀式、とりわけ提出しなければならない書類」など、以前には重要でなかったことに参加しなければならないか、もしくは参加することを「期待」されていた。それにエネルギーを使い果たし、考える時間はなくなったと回想している。

「私たちに考えなければならない課題を突きつけながら、ナチズムは、しかし、絶え間ない変化と『危機』でもって私たちの目を回らせ、心を奪い取っていったのです。まったくのところ、内外の『国家の敵』という陰謀に、私たちの目は見えなくなっていました。私たちには、少しずつ私たちの周りで大きくなっていった恐るべき事態について考える時間はありませんでした。」。

当時、特派員としてドイツに滞在していたウィリアム・L・シャイラーは、多くの人が新聞やラジオの情報とほぼ同じことを語っており、「全体国家の中で、検閲された新聞やラジオによって、人がいかにたやすく獲得されるかを経験することが出来た」と回想している。強制的同一化を経た人々は、それが政府の強制でなく自分から自発的に生み出されたものだと感じており、メイヤーがナチ党員の証言をまとめた本のタイトル『彼らは自由だと思っていた』(They Thought They Were Free)もそれを現している。

1938年9月26日、ズデーテン危機に際してベネシュ大統領に戦争か平和かを突きつけたヒトラーの演説は、強制的同一化が完成した彼の理想形を表すものであった。

“今や、私が民族の第一の兵士としてその先頭に立ち、私のあとには1918年当時とは全く別の民族が行進しつつある。今この瞬間、ドイツ民族全体が私と一体となるであろう。彼らは私の意思を自己の意思として感ずるであろう。”
– 1938年9月26日、シュポルトパラストにおけるヒトラー演説、南利明訳 –
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「私は総理大臣なんですからぁ~~~」(笑)
安倍晋三われわれが提出する法律についての説明は、全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから。
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今国会初の党首討論 安保法案めぐり激論 場内もヒートアップ(15/05/21)FNNnewsCH
https://www.youtube.com/watch?v=LW7EBT-IBq0
今国会初の党首討論 安保法案めぐり激論 場内もヒートアップ / FNN_News 05/21 00:13
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00292862.html
およそ1年ぶりに党首が激突した。今の国会で初めてとなる、20日の党首討論で、政府が提案した安全保障関連法案をめぐって繰り広げられた論戦。安倍首相が、野党側の激しいやじを、色をなして制する場面も見られた。安保法案の国会提出直後というタイミングで開かれた、党首討論。まず、民主党の岡田代表が口火を切った。

民主党の岡田代表は「平和憲法が、今回の総理の考えておられる安全保障法制の全面的な見直しの中で、揺らぐのではないかという、そういう不安感が国民の中にある。いや、私の中にもあります。まず、この後方支援について、総理、自衛隊のリスクは高まるんですね?」とただした。

安倍首相は「そこで戦闘が起こったときには、直ちに部隊の責任者の判断で、一時休止をする。そして、あるいは退避をするということを、明確に定めているわけであります」と述べた。

岡田代表は「私の質問に、全くお答えにならなかった。リスクは高まりますよ、私は高まると思いますよ」と述べた。

安倍首相は「リスクとは関わりがないことであることは、明確に申し上げておきたいと、このように思います」と述べた。

また、岡田代表は「総理、アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対ありませんと、この前言われましたね。あれ、間違ってますよ。どうなんですか、総理」とただした。

安倍首相は「何をもって間違っていると言っておられるのか、私はわかりませんが。われわれが提出する法律についての説明は、全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と述べ、騒然とする場内に、「わが党の議員は、みんな、静かに岡田さんの議論を聞いてるじゃないですか。少しは皆さん、ちょっと静かにしていただきたいと思いますよ。安住さん、ちょっと指導してください」と述べた。

安倍首相は「日本の意思に反して、日本が戦闘活動に巻き込まれていくということは、当然、ないのは当たり前のことでありまして」と述べた。

議論がヒートアップするたびに、騒然とする場内。

次に質問に立った、維新の党の松野代表は「8月までの国会の中で、衆参、この安保法制を通してしまおう。こんなことが聞こえてきますけれども、よもや、そんなことはないと思います。ないですよね」と述べた。

安倍首相は「この審議、早くやりましょうよ。本当は、あしたからでも、ちゃんと審議をやりたい。決めるべきは決めていく、やるべき立法はつくっていくという姿勢が、私はとっても大切なんだろうと思います」と述べた。

そして、共産党の志位委員長は「過去の日本の戦争は、間違った戦争という認識はありますか?」とただした。

安倍首相は「村山談話、あるいは小泉談話、節目節目に出されている、この政府の談話を、わたしたちは全体として受け継いでいく」と述べた。

志位委員長は「日本を海外で戦争する国につくりかえる、戦争法案を出す資格はありません」と、法案の撤回を要求した。

自民党の谷垣幹事長は「いい討論だったんじゃないかと思います。平和安全法制、こういったことが取り上げられたと思いますが、きょうはキックオフですしね」と話した。

岡田代表は、東京・新宿での街頭演説で「わたしたちは、集団的自衛権行史に反対ですよ。だけど、ちゃんとした説明すらしないっていうんじゃ、議論にもならないじゃありませんか、皆さん」と述べた。

安全保障関連法案の審議は、一部野党の反発で、5月26日以降、審議入りの見通しとなっている。
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「ナチスの手口」麻生
麻生太郎 「誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」
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「誤解招いた」麻生副総理”ナチス憲法”発言を撤回(13/08/01)ANNnewsCH
https://www.youtube.com/watch?v=aYGn3hamR6Y

高市早苗や土屋正忠などが推薦文を寄せた『ヒトラー選挙戦略』
『ヒトラー選挙戦略 現代選挙必勝のバイブル』
小粥義雄(著), ヒトラー政治戦略研究会(編集) (1994/4/20)
http://www.amazon.co.jp/dp/4924457051
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May 1994 issue of magazine Tokyo Seikei Tsushin
『ヒトラー選挙戦略』推薦文(「週刊東京政経通信」平成6年1994年5月5日)
衆議院議員 高市早苗候補者と認知された瞬間から始まる誹謗、中傷、脅迫。私も家族も苦しみ抜いた。著者の指導通り勝利への鍵は『強い意志』だ。国家と故郷への愛と夢を胸に、青年よ、挑戦しようよ!
武蔵野市長 土屋正忠現場にいて、政治に青春をかけた著者は、ヒトラーの選挙戦略という刺激的言葉を使って、国民に向かって政治参加を呼び掛けている。同感!青年よ、観客席からグランドへ。
takaichi
tokyoseikeitsushi
In a photo that appeared online Wednesday, new Internal Affairs and Communications Minister Sanae Takaichi is pictured with other politicians in a full-color ad in the magazine Tokyo Seikei Tsushin endorsing a 1994 book titled “Hitler’s Election Strategy.” Takaichi had only the year before been elected to the Diet as an independent. A spokesman for Takaichi’s office confirmed on Wednesday afternoon that the photo was of her.
http://www.japantimes.co.jp/news/2014/09/10/national/politics-diplomacy/new-cabinet-ministers-pasts-coming-back-to-haunt-abe/

『ヒトラー選挙戦略──現代選挙必勝のバイブル』絶版に。
著者は小粥(おがい)義雄・自民党都連広報部長
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『朝日新聞』1994年6月14日
ヒトラー冠した選挙本 批判続出で絶版に 自民東京都連の広報部長が著者
自民党東京都支部連合会の広報部長が出版した選挙指南書『ヒトラー選挙戦略──現代選挙必勝のバイブル』(千代田永田書房1994/04発売)が13日、絶版にされることが決まった。著者は「ヒトラーを正当化するつもりはなかった」としているが、ヒトラーを肯定的に取り上げた内容に、イスラエル大使館などから批判が集中。「政府や自民党にも迷惑をかけた」と、著者、自民党都連、出版社で絶版を決めた。店頭の本もできるだけ回収するという。著者は小粥(おがい)義雄・自民党都連広報部長(45)。「来春の統一地方選挙を念頭に、あくまでも個人の考えとして、選挙戦に臨む心構えや戦略を示した」と話す。本は冒頭、「短期間に国論を統一、政権を奪取して第三帝国を建設したヒトラーは、現代選挙を考えるうえで、とても重要な教えを私たちに示している」 「大衆の側に立って、大衆の声を聞き、大衆の心に訴えた政治手法は、混迷の時代、大衆文化時代の今日、『ピタリ』とあてはまる政治戦略」とうたい、「ヒトラーの残した独裁政治、ユダヤ問題など歴史的評価は後世に譲る」としている。そして「後援会組織」「戦う運動員」「宣伝の役割」「女尊男卑の精神」「きれいな資金」などの章立てで、選挙の戦い方を解説。各章にヒトラーの著書『我が闘争』などからの引用文を掲載。ヒトラーのキャラクターイラストや、ハーケンクロイツ(カギ十字)をデザイン化したカットをちりばめている。4月20日付で数千部出版されたが、小粥氏によると、出版記念パーティーには自民党のほか、新生党、日本新党、連合の関係者も出席したという。これに対し、今月10日、イスラエル大使館のヤコブ・ケイダール参事官らが自民党都連を訪れ、秋葉信行都連事務局長らに不快感を表明した。さらに、ナチスの戦争犯罪を追及している在米のユダヤ人団体「シモン・ヴィーゼンタール・センター」が、イスラエルの日本大使館に出版の中止を求める抗議文書を送付。ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストにも取り上げられ、国際問題に発展しかねない情勢になってきたため、絶版を決めたという。
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ヒトラー思想のススメ―自然と人類を救済するナチス・ヒトラー世界観の120%肯定論。
篠原節(著),瀬戸弘幸(著) 1990/12/1
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4886560598
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全日本テコンドー協会の篠原節理事会議長
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一本化の交渉期限切れ テコンドー別途派遣検討も
http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004033101003677.html
国内統括団体の分裂が続くテコンドーで、日本オリンピック委員会(JOC)がアテネ五輪への選手派遣条件と決めた2団体一本化期限の31日、両団体の交渉はまとまらず、一本化による五輪派遣はなくなった。女子67キロ以上級で五輪出場枠を獲得したシドニー五輪の銅メダリスト、岡本依子(ルネスかなざわ)の派遣を求める声が強まる中、全日本テコンドー協会(衛藤征士郎会長)と日本テコンドー連合(森喬伸会長)は同日午後も協議。しかし、全日本協会の篠原節理事会議長は「全く進展はなかった」と述べた。JOCは、18日の理事会で決めた派遣条件を守ることを確認。一方で、国内団体が存在しない場合、条件付きで国内オリンピック委員会(NOC)が個人資格でエントリーできる、との国際オリンピック委員会(IOC)憲章に基づく派遣検討も視野に入れている。JOCは4月1日に、林務専務理事らが記者会見して見解を表明する。2004/03/31 11:52 【共同通信】

アドルフ・ヒトラー生誕125周年記念パーティー
zaitokukai
行動する保守運動のカレンダー全国版 南関東地区スケジュール 2014年4月20日(日)の予定  
【交歓会】アドルフ・ヒトラー生誕125周年記念パーティ
偉大なる総統閣下が生誕された日に、皆でワインを飲みながら語らいましょう。
【場所】都内某所
【主催】ヒトラー・ナチス研究会
http://blog.livedoor.jp/minzokushisou
【連絡先】fukushimaseto@gmail.com
※完全予約制となります
登録番号 No.402
日時 4月20日(日)
http://megalodon.jp/2014-0222-1803-25/calendar.zaitokukai.info/skantou/scheduler.cgi?mode=view&no=402
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鈴木信行(維新政党・新風)と山田一成(国家社会主義日本労働者党)
鈴木信行(維新政党・新風代表)「そうですね、最近は僕が選挙のとき山田さんが(に)応援してもらう、そういうことが多いですけれども、特にいま日本が移民を受け入れる瀬戸際に来てますので、そういう場面では共闘して、受け入れ策に対しては断固反対していかなきゃいけないと思ってます。」
密着24時!日本のネオナチ http://youtu.be/k_pP_sc09FY?t=2m31s
suzukinobuyuki_yamadakazunari

ハーケンクロイツを崇める「国家社会主義日本労働者党 規約」(代表:山田一成)
http://nsjap.com/jp/nsjap/kiyaku.html
nsjap

稲田朋美西田昌司高市早苗が愛国保守議員?(笑)
「自由民主党の愛国保守議員」 http://nsjap.com/jp/kiji/08.html
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2000年6月の衆院選の際、自民党が大量に買い取り、選挙で活用するよう通達した雷韻出版の本。
雷韻出版はネオナチ団体「国家社会主義日本労働者党」代表の山田一成が設立した出版社。
『誰も知らない日本共産党のホンネ』 大岩悠吾(著) 雷韻出版 (2000/5/1)
http://www.amazon.co.jp/dp/4947737166
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国家社会主義日本労働者党 山田一成 雷韻出版 誰も知らない日本共産党のホンネ 自民党
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日刊ゲンダイ 2014年9月12日
高市、稲田両氏と2ショット 極右活動家とオウムの繋がり
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/153298
第2次安倍内閣の命取りになりかねないのが女性大臣や党幹部と極右活動家とのつながりだ。高市早苗総務相と稲田朋美政調会長が「国家社会主義日本労働者党」の代表者・山田一成氏と撮ったツーショット写真が海外メディアに報じられてしまった。山田氏はヒトラーを崇拝する活動家。「民族浄化を推進しなければならない」「在日朝鮮人殲滅」など、ナチそっくりのスローガンを掲げ、HPにカギ十字によく似たマークを掲げている。ユダヤ人へのホロコーストを「日本の南京大虐殺とまったく同じで、戦勝国がつくったデマ」と否定している。まさに日本版「ネオナチ」だ。一体、どんな人物なのか。「東京出身で、80年代から海外のネオナチ団体とつながりを持っています。82年に国家社会主義日本労働者党を創設し、『雷韻出版』という出版社も設立。この会社と山田氏が有名になったのが2000年6月の衆議院選挙でした。『誰も知らない日本共産党のホンネ』という本を出版し、この本の広告として共産党を攻撃する謀略ビラを配った。3000万枚ばらまかれたといわれています。その前年にカギ十字の旗を掲げて米国大使館に押し掛けてもいる。高市と稲田の写真を撮り、自分のHPにアップしたのは自分とのつながりを誇示したかったのでしょう」(民族運動関係者)

日刊ゲンダイ 2000年6月21日
「共産党批判」本の魑魅魍魎 全国で3000万枚もの広告ビラを配布
「自民党・野中筋」「オウム」「ナチス礼賛の超右翼」
過熱する選挙戦で、共産党をターゲットにした大量のビラがまかれている。不破委員長は、「40種類ぐらいある」と言っているが、なかでも目立つのが「共産党批判本」の広告の体裁をとったビラである。全国で3000万枚はまかれたといわれるこのビラの〃出所〃をたどっていくと、魑魅魍魎の人脈が浮上してくるのだ。問題の本は「誰も知らない日本共産党のホンネ」で、出版元は雷韻出版(東京・目黒)だ。広告ビラが大量に出回った背景を関係者がこう説明する.「今年2月、この出版社にある大手紙の元記者が〃自費出版したい〃と原稿を持ちこんできた」さらに国会解散の直前にナゾの男が、〃5万部買い取るから、本の宣伝のチラシを選挙用に使わせてほしい〃と申し入れてきた。出版社側が〃(自民党の)野中(幹事長)さんの関係か〃と尋ねると〃それに近いと思ってもらって間違いない〃と答えたそうです」 その後、本は複数の書店を通じて買い取られ、しばらくすると、本の広告ビラが深夜にあちこちでばらまかれた。広告ビラといっても、中身は共産党批判のオンパレード。共産党の関係者がビラを配っていた男を捕まえると、創価学会員だったという話もある。本の定価は1400円。5万部を買い取ると7000万円になる。宣伝ビラ3000万枚の費用が1億1OOO万円。「読売」や「毎日」など全国紙にも広告を出しているので、ざっと2億円の経費がかかっていることになる。しかも、この出版社がちょっと変わっていて、オウムやナチズムを信奉する超右翼団体のカゲがちらつくのだ。この出版社から上祐史浩との対談本「オウム解体」を出した宮崎学氏が言う。「上祐氏は、インタビューに応じる条件としてこの出版社を指定してきた。横浜の本部で会見したときもこの会社の社長が一緒にいました一時、オウムに肩入れしていたというこの出版社の社長は、超国家主義の政治団体の代表でもある。「日本民族の優位性、一党独裁政権を目指すこの団体は、昨年暮れ、ナチスドイツのカギ十字の旗を掲げて米国大使館に押しかけています」(事情通) 何やらウサン臭い団体が見え隠れするこの本の広告ビラ。野中幹事長は「知らない」と言っているが、ある県連事務所に本が平積みになっていたという目撃談もある。いくつかの地方の自民党県連に間い合わせると「送りましょうか」「たくさんあるから2,3冊あげますよ」という返事。不気昧な広告ビラ作戦である。

山田一成自民党
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「しんぶん赤旗」 2014年9月11日(木)
高市総務相・稲田自民党政調会長がネオナチ代表と写真 海外報道相次ぐ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-09-11/2014091101_04_1.html
ネオナチ団体代表の山田氏=反共謀略本の出版社社長
ネオナチ団体「国家社会主義日本労働者党」の代表、山田一成氏は、自民党とかつてから深い関係のある人物です。2000年6月に行われた総選挙では、日本共産党へのデマ攻撃を目的とした、1億枚を超す反共謀略ビラが自民、公明勢力によって、全国的に配布されました。この反共謀略ビラのために大量出版された単行本『誰も知らない日本共産党のホンネ』の出版社、「雷韻出版」(東京都目黒区)の社長が山田氏でした。当時、自民党本部はこの本を大量に買い取り、選挙に活用するよう同党広報本部長名で、都道府県連合会や衆院選挙事務所、参院選挙区比例区事務所に通知していました。本紙が2000年6月21日付で報じていました。

「しんぶん赤旗」 2000年6月21日(水)
自民党が活用指示した謀略本 出版社社長は右翼団体の代表 ナチスの旗を掲げ行動
http://www.jcp.or.jp/akahata/20006/0621/2000621_neonati.html
自民党本部が謀略ビラのために大量に買い取り、選挙で活用するよう全国に通達していた反共謀略本『誰も知らない日本共産党のホンネ』の出版社雷韻出版(東京・目黒)の山田一成社長は、反共右翼団体の代表をつとめていたことが、本紙の調査で明らかになりました。この団体は国家社会主義日本労働者党。自治省が編さんした『政治団体名簿』によれば、団体の設立は八八年四月。『名簿』に登場したのは八九年版が最初で、九五年版まで掲載されていました。代表者名が山田一成氏。九〇年までの事務所の住所は「世田谷区玉川田園調布」で、雷韻出版の山田社長宅と同一住所です。また、九三年に同団体の会計責任者をつとめた森田誠氏は、雷韻出版の監査役として名前を連ねています。同党のホームページによると、綱領として「日本民族の優秀性を確認し血の純潔を保持し全世界の指導国家として世界平和に貢献する」「日本国體(こくたい)に反する国際主義を排斥し民族利益優先の指導者的一党独裁政権を要求する」など、四項目を掲げています。さらに、「民族浄化の推進」「単一民族国家化を維持・推進」などを基本理念としています。昨年十二月五日には、「大東亜戦争開戦記念日」を前にナチスドイツのカギ十字の旗を掲げて米国大使館に抗議行動を実施。また、「外国人不法労働者排撃」「国外での軍事訓練」などを誇示する写真をホームページに掲載しています。
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2000年2月 「オウム心理教(現・アーレフ)幹部(現・代表)の上祐史浩氏が広島刑務所出所後、山田同志(わが党代表)と面会
http://www.nsjap.com/jp/nsjap/rekishi.html
joyu_yamada

オウム真理教 文/ 国家社会主義日本労働者党 山田一成
http://www.nsjap.com/jp/kiji/05.html
「今までの政治的事件のほとんどが体制内改革を目指していたのに対して、オウム真理教は絶対的な価値観を振りかざして日本国に宣戦布告をしてきたのだ。あと数回サリンをばら捲けば、日本国との交渉も可能だろう。彼らはおそらくプルトニウムを持ち、中性子爆弾も製造しているはずだ。いや、本当には持っていなくても、その存在をちらつかせるだけでいい(警察に押収された書類に中性子爆弾の製造法が書かれていたという)。日本国の国際的な信用度はインドかスリランカ程度へと失墜するはずである。世界的な大恐慌が訪れるかもしれない。彼らの云う日本印度化計画とはこのことか?この時こそ彼らの主張するハルマゲドンが到来するのだ。と考えていくと、何故か知っているシナリオだと気が付いた。村上龍の『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』を足して2で割ったシナリオではないか。我々こそが実践しようとしていた世界をオウム真理教という宗教団体が、たった今演じているのだ。

高市、稲田両氏と2ショット 極右活動家とオウムの繋がり
日刊ゲンダイ ゲンダイネット(Gendai.Net) 2014年9月12日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/153298/2
■オウム真理教を絶賛
雷韻出版は元オウム真理教幹部の上祐史浩の対談本を出版している。山田氏はHPでオウムのテロ事件を「我々こそが実践しようとしていた世界をオウム真理教という宗教団体が、たった今演じている」「優秀な理化学系の学者や自衛隊員までを引き付けてしまったオウムの教えは、この混迷する世紀末にあって、右翼も左翼も示唆出来なかった方向性を示した」と称賛している。とはいえ右翼・民族派の活動家としてはあまり知られていないようだ。「彼は右翼の会合に顔を出しては党と出版社の名刺を配っていた。でも最近は体調を崩して通院しているため、ほとんど動けないようです」(事情通) こんな人物との写真を公開された高市氏と稲田氏の頬かむりは許されない。

高市早苗・土屋正忠の両氏らが推薦文を寄せた『ヒトラー選挙戦略』 Amazonマーケットプレイスでプレミアム価格に
http://getnews.jp/archives/666197
「小粥義雄『ヒトラー選挙戦略』(1994)を読む」
http://www.kasetsu.net/PDF/Rhitler.pdf
Japan: Adolf Hitler Book Haunts Interior Minister Sanae Takaichi
http://www.ibtimes.co.uk/japan-adolf-hitler-book-haunts-interior-minister-sanae-takaichi-1465067
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鈴木信行荒巻丈高木脩平瀬戸弘幸田母神応援
shinpu_tamogami
田母神候補への応援、お疲れ様でした♪2014.02.11 Tuesday
http://shinpuren.jugem.jp/?eid=836
今回の都知事選には右派政党『新風』からも鈴木信行代表が連日、田母神候補の応援に馳せ参じ、我が新風連からは荒巻丈氏と高木脩平氏が田母神陣営の選挙運動に連日随行しました。新風連前代表の瀬戸弘幸・ブログ『日本よ何処へ』主宰もネット上で田母神応援の論陣を張りました。在日・極左を主体とする『レイシストをしばき隊』や『男組』などの反日半グレ集団が宇都宮健児を応援すれば、日本人愛国者は田母神候補の元へ集うといった構図でしょう。

鈴木信行オフィシャルブログ 2014-01-17 02:28:52
田母神俊雄支持!都知事選挙
http://ameblo.jp/ishinsya/entry-11751645111.html
維新政党・新風は、東京都知事選挙への対応を決定した。田母神俊雄候補を支持する。
田母神俊雄候補陣営の水島総選対本部長から鈴木信行本部代表・荒木紫帆東京代表に都知事選への選挙応援要請があり快諾した。

世日フォーラム沖縄事務局の電話番号と田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会のFAX番号が一致。
田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会 FAX:098(868)3037
http://s04.megalodon.jp/2009-1002-0121-26/blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/03576ccfa43a8bdb17f9ae61e27e99d2
世日フォーラム沖縄事務局 TEL:098-868-3037
http://s04.megalodon.jp/2009-1011-2237-53/event.uruma.jp/detail/172822/
tamogami-toshio
田母神俊雄 統一教会

三橋貴明は田母神俊雄氏を支持します三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」 2014-01-08 09:12:45
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11745554281.html
田母神氏の「人物」については、全く心配していません。正直、氏ほどユーモアに富みに、人間的に素晴らしい方には、お目にかかったことがないと断言できるほどでございます。
mitsuhashi_tamogami
田母神俊雄 三橋貴明

三橋貴明と世日クラブ
mitsuhashitakaaki_senichiclub
世日クラブ・どっと・ねっと、関連リンク お勧めサイト
http://senichi-club.net/link3.html
三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ」

チャンネル桜の水島総が語る怖い話、保守を蝕むカルトの恐怖(笑)
scared_phone_call
【直言極言】保守を蝕むカルトの恐怖[桜H27/5/1]
https://www.youtube.com/watch?v=u17_5BNcoUI
hoshu_cult
喪黒福造「ココロのスキマ、お埋めします」
喪黒福造「オ(ホ)ーッホッホッホッホッ」

統一教会信者の阿部正寿 チャンネル桜
【阿倍正寿】今、日本外交に欠けているもの[H21/7/2]
https://www.youtube.com/watch?v=Uz-vA_mkQn4
history07
チャンネル桜とトランスデジタル

谷山雄二朗が作曲した田母神俊雄応援歌 ファンキーな谷山節炸裂!(笑)
東京都知事選 2014 テーマソング “Tossio for Tokyo Blues” [ 谷山雄二朗 ]
https://www.youtube.com/watch?v=UyGn7Fddmgo
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22776444
taniyamayujiro_song_tamogamitoshio
最近「保守」の間で人気急上昇中のアウトスポークン・サムライ谷山雄二朗さん(笑)

ゆうじろう(谷山雄二朗)、タモ(田母神俊雄)、互いに応援しあう(笑)
谷山雄二朗が田母神俊雄を応援
toshiotamogami_yujirotaniyama
https://www.facebook.com/YujiroChangeTokyo/photos/a.195039400530225.51597.187834737917358/703860062981487/
谷山ゆうじろう 「世界をつなぐ都市, TOKYO」
みなさん、こんにちは!東京都知事選2014、ついに開幕。ぼくは福島出身の田母神としお先生を応援させていただきます! m(_ _)m  http://www.youtube.com/watch?v=AmKHQYTI9Pc 田母神さんは、福島出身でありながら「今のニッポンでは科学的な根拠に基づいた原発の議論が行われていない。感情論で風評被害を巻き起こすのではなく、日本人は冷静に対処すべきだ」、と今回の候補の中で唯一の原発推進派。2013年、ぼくは福島産の桃をモモタロウばりに食べました。美味しかった!メディアでは「和製アルカイーダ」的に、偏って報道されがちの田母神さんですが、実際にお会いすると福島産の桃のようにジューシーで柔らかい、温厚な方でした。航空自衛隊幕僚長、すなわち日本空軍のトップでご活躍された方ですので国際情勢および危機管理体制構築においては、プロフェッショナル。しかも、決してブレない。これから14日間の長期戦!「脱原発」のみなさんも、すべての候補を今後二週間、じっくり “Tasting” し、その上で投票にlets go. いずれにせよ、今回の選挙の争点は明らかに原発ではないとぼくは考えています。東電の議決権のわずか1.34%しかない東京都に、行使出来る影響力は事実上ゼロ。細川純一郎さんに惑わされず、それよりも現実的に考え、「どんなTOKYOをつくりたいのか」つまり VISION こそが最大の争点!戦はまだ始まったばかりです!とにかく、政治を嘆くエナジーがあるならまずは投票には必ずいこうぜにeveryone!Thank you, and keep warm. 朝夕冷えるので、風邪さんをひかないように。 http://yujirotaniyama.com/24hr-International-Tokyo.html
2014年1月22日

ゆうじろう(谷山雄二朗)、タモ(田母神俊雄)、互いに応援しあう(笑)
田母神俊雄も谷山雄二朗を応援
tamogami_twitter_taniyamayujiro
田母神俊雄‏@toshio_tamogami
https://twitter.com/toshio_tamogami/status/268731984577171456
谷山雄二朗君という若い人が都知事選を目指しています。彼は1年半前の都知事選に立候補して落選しましたが大変志の高い青年です。11月20日までに3百万円を集めないと立候補できません。皆さんビデオを見て協力してあげて下さい。お願いします。http://t.co/iapKucCa 7:07 – 2012年11月14日

ビルクリントン 谷山雄二朗
billclinton_yujirotaniyama

谷山雄二朗 ビル・クリントン
yujirotaniyama_billclinton
谷山雄二朗にタイムラグはない
投稿時刻 20th February 2013、投稿者 Women for 谷山雄二朗 さん
http://womenfortaniyamayujiro.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html
2枚の写真は第42代アメリカ大統領ビル・クリントン氏の随行員を務めた時のショットです。1枚目は谷山雄二朗さんの公式ホームページより、そして2枚目は1月のテレビ東京「ソロモン流」の中で流れたものをキャプチャーしたもの。

米国「父母の日」制定
http://www.chojin.com/history/fubonohi.htm
米国政府は、統一教会創始者文鮮明師の夫人である韓鶴子女史の米議会講演(1993.7.28)を記念して、毎年7月第4日曜日を「父母の日」とすることを決定、国家の法律として大統領が署名し(公法103-362)、全米国民が永久に祝うべき国民の祝日として法制化した。
1994.10.14 同法案に上院議長、下院議長、クリントン大統領が署名、ここに毎年7月第4日曜を「父母の日」として恒久的に祝う全米国民の祝日が正式に法制化された。

Parents’ Day :
In the United States, Parents’ Day is held on the fourth Sunday of every July. This was established in 1994 when President Bill Clinton signed a Congressional Resolution into law (36 U.S.C. §135) for “recognizing, uplifting, and supporting the role of parents in the rearing of children.” The bill was introduced by Republican Senator Trent Lott. It was supported by members of the Unification Church which also celebrates a holiday called Parents’ Day, although on a different date. Parents’ Day is celebrated throughout the United States.

Parents Day shows links of Moon’s church to GOP (Grand Old Party 米共和党)
Mobile Register/July 30, 2000
By Ben Raines, Staff Reporter
http://culteducation.com/group/1277-unification-church/24042-parents-day-shows-links-of-moons-church-to-gop.html

Honor Thy Parents
How the Unification Church Convinced the U.S. Government to Endorse Its Holiday Honoring the Rev. and Mrs. Moon as the True Parents of Mankind—and Along the Way, Garnered Support From Hallmark Cards, Florence Henderson, Marion Barry, Bill Clinton, and Miss Illinois
By Lisa Gray • September 8, 1995 Washington City Paper
http://www.washingtoncitypaper.com/articles/7328/honor-thy-parents

谷山雄二朗 み旨成就山谷えり子 ヤンキー先生義家弘介
日本を愛する教育へ – 谷山雄二朗がヤンキー先生、山谷えりこ議員をインタビュー
https://www.youtube.com/watch?v=hnhFvYOdhbw
taniyamayujiro_yankeeyoshike
taniyama_yamatani
活動とあゆみ | 世界戦略総合研究所(統一教会系)
http://megalodon.jp/2012-1231-1826-24/sekai-soken.heteml.jp/?q=node/24
abe_yoshiie
義家弘介」OFFICIAL WEB SITE 2010年6月22日
【講演会】 世界戦略総合研究所 定例会
世界戦略総合研究所定例会が日本橋公会堂で開催され講師として参加。集まったおよそ130名を前に『人造りこそ国造り~教育再生を目指して~』の演題で講演を行った。
http://megalodon.jp/2013-0108-0005-45/yoshiie-hiroyuki.com/i-info/inf/inf.cgi?cm=2&mode=detail&year=2010&no=717

山谷えり子 み旨成就 統一教会
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み旨の応援歌」に対する文鮮明師のみ言(日本語)UCJAPANch
https://www.youtube.com/watch?v=CkMF1C5HZJU
山谷えり子の「経歴」 削除された気になる部分
http://www.j-cast.com/2006/10/14003373.html?p=all

TPPは絶対参加すべきだと思ってるよ!?(笑)
正社員もどんどん首に出来るようにする安倍自公政権に投票すべき!?(笑)
谷山雄二朗俺はTPPは絶対参加すべきだと思ってるよ。
https://youtu.be/O-HKMUQctq8?t=8m33s
taniyama_abe
谷山雄二朗「安倍晋三内閣に投票すべき最大の理由は、憲法改正じゃない」
https://www.youtube.com/watch?v=O-HKMUQctq8
JB – JapanBroadcasting.net
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火をつけるマッチと火を消す消防士
hitsuke

愛国を考えるブログ 2014年12月05日
自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べるブログ
桜井会長の体を張った工作活動を見習おう
http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/article/410088289.html
「我々J-NSC(自民党ネットサポーターズクラブ)も負けてはいられない。在特会は自民党にも支持者がいる自民党の友好組織。しかし本家の自民党がこのような工作活動をしてこそ自民党の勝利につながる。在特会とJ-NSCで切磋琢磨をしていく必要があるだろう。」

愛国を考えるブログ 2015年06月03日
自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べるブログ
祝!中国で旅客船が沈没!
http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/article/420037066.html
いまは1人でも多く死亡者が出ることを靖国神社に参拝して祈ろうと思っている。そして決して中国に支援をしないように情報戦を展開していかなければいけない。もし義援金を送ったらその金は日本を攻撃するための武器に使われるであろう。」
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在日韓国人などに対するヘイトスピーチを取り締まる法整備を舛添要一が安倍晋三に要請。
舛添知事「朴大統領は関係改善したい」と総理に報告(14/08/07)
https://www.youtube.com/watch?v=B3gOXFxes1A
masuzoe

安倍晋三「(ヘイトスピーチ)は日本の誇りを傷つけるものだ」
舛添要一の要請を受けた安倍晋三は高市早苗にヘイトスピーチ対策の検討を指示。
舛添知事「朴大統領は関係改善したい」と総理に報告(14/08/07)
https://www.youtube.com/watch?v=B3gOXFxes1A
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ヘイトスピーチ規制へ自民、議員立法を検討
読売新聞(YOMIURI ONLINE) 2014年08月15日 12時43分
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140815-OYT1T50028.html
自民党は、在日韓国・朝鮮人への差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)を取り締まるための法整備を検討するプロジェクトチーム(PT)を近く設置する方針を固めた。7月に韓国の朴槿恵(パククネ)大統領と会談した舛添要一東京都知事の要請を受けた安倍首相が、高市政調会長に検討を指示していた。首相は、日韓首脳会談の実現に意欲を示しており、韓国側が問題視しているヘイトスピーチに対応する姿勢をアピールすることで、日韓関係の改善につなげたい考えがあるとみられる。主要7か国(G7)でヘイトスピーチに関する法規制がないのは米国と日本だけで、国連の自由権規約委員会も7月、日本に対策強化を求める報告書を公表した。ただ、法務省などは「憲法が保障する表現の自由に抵触しかねない」として法規制に慎重で、自民党は、欧州の法規制の状況を研究し、議員立法による新法制定の可能性を探る方針だ。

安倍晋三、舛添要一候補を熱烈全力応援。2014年都知事選。
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舛添要一(ますぞえよういち) 【東京都知事選 2014 街頭演説動画】 自民党の安倍総裁公明党の山口代表と共に支持を訴えました! – 2月2日(日) 銀座編 –
「銀座三越前交差点で、党首街頭演説会に合流し、自民党の安倍首相、公明党の山口代表と­並んで、街頭演説車から1万人以上の参加者に支持を訴えました。」
https://www.youtube.com/watch?v=6qZmGrC7MWY

安倍晋三、公明党の太田昭宏候補を熱烈全力応援。2014年衆院選。
ohtaakihiro_abeshinzo
太田昭宏 応援演説】 安倍晋三 内閣総理大臣
「2014年12月7日の街頭演説会にて、安倍晋三内閣総理大臣が、応援にかけつけてく­ださいました。」
https://www.youtube.com/watch?v=Ff4Kl2ntF1I

火をつけるマッチと火を消す消火器
match-pump

坂中ブログ 2014年9月3日
インターネットの世界で移民国家論議が急激に高まった
http://jipi.or.jp/?p=1727
ヘイトスピーチはもとより「移民お断り」「移民追放」の演説をぶつことができなくなった。移民推進派に有利な状況が出てきた。この10年来、移民の受け入れの是非の議論を国民に呼びかけてきた私の執念が実った。
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世耕弘成(近畿大第4代理事長、近畿大初代総長世耕弘一の孫)
青山繁晴(近畿大経済学部国際経済学科客員教授 国際関係論)
経済学部教員 – 近畿大学
http://www.kindai.ac.jp/about-kindai/overview/teachers/keizai.html#data02
seko
在特会の上告を退けた最高裁決定に関し、
世耕弘成「いわゆるヘイトスピーチ(憎悪表現)とされる言動について、民事的な救済が図られ得るということが示された」
saikousai

最高裁決定を評価、世耕氏 ヘイトスピーチで
http://www.47news.jp/CN/201412/CN2014121101001270.html
世耕弘成官房副長官は11日の記者会見で、京都朝鮮学園周辺での街宣活動をめぐり「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の上告を退けた最高裁決定に関し「いわゆるヘイトスピーチ(憎悪表現)とされる言動について、民事的な救済が図られ得るということが示された」と評価した。刑事罰の対象外となるヘイトスピーチの規制については「言論や表現の自由との関係で難しい問題もある。国会での各党の検討や、国民的な議論の深まりを踏まえて考えていくことになる」と指摘。「政府は(ヘイトスピーチを)認めていないということを強力に発信していきたい」と強調した。2014/12/11 13:39 【共同通信】
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“今や、私が民族の第一の兵士としてその先頭に立ち、私のあとには1918年当時とは全く別の民族が行進しつつある。今この瞬間、ドイツ民族全体が私と一体となるであろう。彼らは私の意思を自己の意思として感ずるであろう。”
– 1938年9月26日、シュポルトパラストにおけるヒトラー演説、南利明訳 –
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近畿大つながりの青山繁晴と世耕弘成