奴隷根性

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“突然ではありますが、新生活の荷造りのリストの中に追加して頂きたいものがあります。伊丹十三の父・伊丹万作著『伊丹万作エッセイ集』(ちくま学芸文庫/税込価格1,470円)です。といいますのもその中で有名な『戦争責任者の問題』を読んでいただきたいからであります。伊丹万作はこのエッセイの中で当時の日本人の「上のほうからからだまされて戦争をしてしまった」という雰囲気に「だますものだけでは戦争は起こらない、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまった国民の文化的無気力、無反省、無責任などが悪の本体である」とくぎを刺しています。”

伊丹十三記念館 記念館便り だまされるものの罪
http://itami-kinenkan.jp/tayori/2012/03/001562.html
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“いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。”

戦争責任者の問題 伊丹万作
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/
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ヘルマン・ゲーリング 「国民は指導者たちの意のままになる。それは簡単なことで自分たちが外国から攻撃されていると説明するだけでいい。平和主義者に対しては愛国心がなく国家を危険にさらす人々だと批判すればいいだけのことだ。この方法はどこの国でも同じように通用する。」 

“The people can always be brought to the bidding of the leaders. That is easy. All you have to do is tell them they are being attacked and denounce the pacifists for lack of patriotism and exposing the country to danger. It works the same way in any country.” – Hermann Göring
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